かつてはマニュファクチュールとして高い技術力を誇ったユニバーサル・ジュネーブ。1894年に2人の時計師によってスイスのル・ロックルにて、彼らの名前を冠したデコーム&ペレ社として設立された。しかしほどなくして時計師のひとりが急逝したために社名を変更。後に“ユニバーサズ・ジュネーブ”の名を商標登録し、ブランド名として用いている。
1950年代には北極ルートを飛行するパイロットのためのマイクロローター自動巻き“ポールルーター”、70年代には当時の世界最薄クォーツムーヴメントや音叉時計などを開発しており、時代ごとに最先端の機構を取り入れていたブランドだが、やはりアンティークウオッチファンにとっては、ユニバーサルといえばクロノグラフを思い出すだろう。
ユニバーサル・ジュネーブはクロノグラフを“コンパックス”というコレクションでまとめており、これが高度な機能性を備えたシリーズとして現代でも評価が高い。コレクションが立ち上がったのは1936年のことだが、クロノグラフの製造自体は懐中時計の時代から手がけており、技術の蓄積は十分に成されていた。
コンパックスは初期の段階で12時間積算計、30分積算計、スモールセコンドを備えた3レジスタークロノグラフで、このモデルから豊富なバリエーションを展開することで市場のニーズに応えていった。一例を挙げると、3時位置に45分積算計と9時位置にスモールセコンドを備えた2カウンターの“ユニコンパックス”、簡易的な脈拍計測計を備えた医療用の“メディココンパックス”、3カウンターに加えて12時位置に時刻記録用のリマインダーを備えたパイロット用の“アエロコンパックス”、日付け表示機能を搭載した“ダトコンパックス”などがある。さらに創業50周年の44年には、最上位モデルとしてトリプルカレンダーとムーンフェイズも搭載した全部入りコンプリケーションの“トリコンパックス”も手がけている。
ユニバーサルのムーヴメント開発は非常に効率的で、初期は大型のCal.285を中心に、小型化された281や289などのムーヴメントに派生。ベースキャリバーを生み出すと、そこからモジュールで機能を追加して、新モデルを生み出すというシステムが確立されていた。多様な製品展開ができたのも、この体制が確立されていたからだ。他社へのムーヴメント供給も積極的に行っており、特にゼニスへの供給は有名だ。そのほかにもエルメス、ダンヒル、ジラール・ペルゴ、ジャガー・ルクルト、エベラール、ヴァシュロン・コンスタンタンなど錚々たるメゾンに供給実績がある。
ユニバーサルのクロノグラフムーヴメントは3サイズに大別され、最大のものが前述の最初期モデルCal.285(14リーニュ/約31.7mm)。これが最も市場で見かけるサイズで、サイズの大きさを生かしてスプリットセコンドなどのバリエーション展開も豊富だった。
ミドルサイズはCal.281(12 1/4リーニュ/約27.8mm)で、これは複雑な機構を追加して、トリコンパックス用などにも転用されていった。最小サイズはCal.289(10 1/2リーニュ/約23.3mm)で、主にシンプルなユニコンパックスやレディース用に使われていた。角形ケースに収められたものもあるが、サイズの小ささから製造が難しかったこともあって非常にレア。市場ではほとんど見かけることがない。
比較的見つけやすい大型のCal.285やその派生ムーヴメントは、サイズの大きさもあってパーツの配置に余裕があり、肉厚なレバーなどの採用で耐久性も高い。仕上げのレベルも比較的高く、古い個体でも安心して使うことができる。
ひと昔前は100万円前後でいい出物が手に入ったが、このブランドも例に漏れず最近の価格高騰が著しい。しかも状態の良い個体は年々見つけにくくなる一方だ。バリエーションが多いモデルなので、時間をかけて自分にマッチするお気に入りの1本を探すべきだろう。
いまや海外からも多くの注目を集める国産アンティークの花形、グランドセイコー。
時計後発国であった日本で、セイコーが“スイス製時計の精度に負けない日本製時計を生み出す”という目標を掲げて、部品、組み立て、調整のすべてに最高レベルの技術を導入し、1960年に発表したモデルだ。
時計の本質を追求したグランドセイコーでは、とりわけ精度へのこだわりは徹底しており、当時のスイスクロノメーター規格と同等の厳しい社内規格を設けており、規格をパスした個体のみが販売されていた。
ちなみに初代グランドセイコーは、金張りケースで2万5000円という価格で販売されている。これは当時の大卒男子の初任給が1万円ほどだったこと、またグランドセイコー以前の最高機種でも価格が1万2000円程度であったことを踏まえると、国産時計としてはかなり高額なものだった。
さて、そんな初代グランドセイコーでは、いくつかの仕様違いが確認されている。
有名なのは文字盤のロゴの造形で、“プリント”“彫り”“浮出”と大きく3種類がある。特に“プリント”は最初期の個体にのみ見られる希少ディテールだ。
このロゴの仕様違いは比較的わかりやすいものだが、熱心な研究家や愛好家たちは、知識のない人が一見しただけは到底わからないような細かな仕様違いもいくつか発見している。そのひとつが裏ブタにあしらわれた“メダリオン”だ。
上の二つの時計の獅子のマークを見比べていただきたい。
上の個体のほうが、獅子の顔やタテガミがくっきりと刻印されているように見えないだろうか。
こうして二つ並べて見ないと気がつけないレベルだが、異なっていることは認識していただけるだろう。上の個体が前期、下が後期に分類されている。ちなみに、これ以外にもケースでも前・中・後期と仕様違いがある。
こうした仕様違いは、かつてのロレックスの時計でもよく見られた。製造管理が向上した現代の時計では見られないだけに、アンティーク時計ならではの楽しみと言えるだろう。
業界唯一のアンティーク時計の専門誌「ロービート(LowBEAT)」編集部が毎週水曜日にお届けしているアンティーク時計初心者向けの入門記事。前回はクロノグラフのインダイアルが二つ目から三つ目スタイルになった理由について解説した(前回記事)。そこで今回はそのインダイアルに装備されているクロノグラフ時計の積算計について取り上げる。
クロノグラフとはそもそも装備されたストップウオッチ機構を作動させて秒単位で経過時間を計測するのに使う機能である。
そして積算計とは、その計測時間が1分を超えた場合に何分経過したのかを分単位で記録するために設けられたカウンターだ。例えば30分積算計だとするとクロノグラフ秒針が文字盤を1周(1分経過)するたびに1目盛り針が進む。そして最大30分までを記録するというもの。ちなみに12時間積算計の場合はクロノグラフ秒針が60周(1時間経過)ごとに1目盛り動く。
そしてここからが本題。何年頃からかは定かでないが、1950年代以降のクロノグラフの積算計をよく見ると、ここに掲載した時計(右側の45分積算計)のように目盛りの中で3分、6分、9分とこの3カ所の目盛りだけが他よりも長くなっていることがわかるだろう。
実はこれ「テレフォンユニット(TELEPHONE UNIT)」と呼ばれるもので、昭和世代の方であればご存じだと思うが、かつては日本もそうであったように電話の料金は3分単位で加算されていた。それをカウントするための目印として当時の分積算計に設けられていたものなのだ。
しかも当時のクロノグラフ時計にはメーカーを問わずこの目盛りを備えている個体は非常に多い。つまり当時においてもクロノグラフ機構の実用性をいちばんに実感できた最も身近な活用法は、電話の通話時間を確認することだったのだろう。
文◎LowBEAT編集部/写真◎モンテーヌサカエチカ(ワックマン クロノグラフ Ref.1376 275,000 円)
アンティーク時計で、たまに“ダブルネーム”と記された商品を見かけることがある。
このダブルネームとは、その名が示すとおり、ブランド名とは異なる“二つ目の名前”が時計に併記されているモデルを指してる。
ダブルネームモデルは現代でも各社からリリースされることがあるが、協業的な意味合いをもつ現代と、かつてでは実はニュアンスがやや異なっていることが多いのだ。
かつてのダブルネームモデルがどういったものだったかを知るには、当時の時計メーカーが置かれていた状況を振り返る必要がある。
腕時計が普及する以前の懐中時計時代。時計は小さな工房で一つひとつ手作業で作られ、生産数も限られており、メーカー名やブランド名すらないことが普通だった。当時こうした小さな工房が手がけた時計は、それを販売する時計店や宝飾店に納品され、販売店でケースに納められるということも多く、販売店の名前を使って販売された時計も少なくなかったのである。つまり、力関係としては、販売店のほうが圧倒的に強い時代だったのである。ちなみに時計メーカーがブランド、いわゆる“商標”を用いて工業的に作られ始めるのは1900年を過ぎてからだ。
そんな時代にあって、非常に巧みな戦略をとったのがロレックスだ。
無名だった創業当時、販売契約を結んだ有力な時計店や宝飾店の名前をあえて文字盤に併記することで、自社の認知度を高めると同時にブランドイメージの向上を図ったのである。これについてはロレックスが起源と裏づける資料はないものの、現在のアンティーク市場にはロレックスと有力店のダブルネームモデルが数多く残されており、積極的に展開していたことは確かだ。
つまりかつてのダブルネームモデルは、現代のようなスペシャリティなモデルという位置付けではなく、宣伝目的の意味合いがより強かったのだ。
実際どの程度の効果があったのかは定かではないが、ロレックス以外にもIWCやパテック フィリップ、ジャガー・ルクルト、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ ピゲなどの高級ブランドも同様のダブルネームモデルを展開していたことは事実である。また、なかには販売店名のみしか記載されていない時計も存在している。
今回取り上げるのは、パテック フィリップとスイスの老舗時計店“BEYER(ベイヤー)”とのダブルネームモデル。なお基本的に通常モデルとダブルネームモデルとの違いは、名前の有無だけということがほとんどで、このことからも宣伝的な意味合いが強かったことがわかる。
【商品詳細】パテック フィリップ。Ref.3468 BEYERダブルネーム。K18YG(33mm径)。手巻き(Cal.23-300)。1960年代製。121万円。取り扱い店/喜久屋 ショップページに移動
クォーツショックの影響が顕著に表れる1970年代以降、スイス時計メーカーでは経営難を理由にオーナーが変わることも珍しくなかった。ホイヤーもそのひとつで、82年に創業家の手から離れてピアジェ傘下に入った後、85年にはTAGグループへと移り、現在のタグ・ホイヤーへと改名している。
タグ・ホイヤーに改名して以降(LVMH傘下に移る99年まで)は、同社も主力をクォーツモデルに置き換えていくことになるのだが、ホイヤー時代における晩年には、機械式自動巻きムーヴメントを搭載し、様々なスタイルのクロノグラフモデルを展開していた。
とりわけ豊富に展開されたのが、当時絶大な人気を誇ったカーレース仕様のクロノグラフモデルだ。
そのなかでカレラやモナコなどの一部モデルは、現代でもレギュラー展開され、ブランドのアイコンとして定着している。
今回取り上げるのは、そんなレーシングクロノのひとつで、スクエア型ケースが特徴となった“シルバーストーン”だ。
今日、同社のスクエアモデルと言えば“モナコ”があまりにも有名だが、実は当時(1969年初出)のモナコはホイヤーが期待したほどの人気を得られなかったという。そこで、1974年にその後継モデルとして“シルバーストーン”を投入したという曰く付きのモデルなのだ。ちなみにモデル名はイギリスにあるサーキット名に由来しており、同モデルの後にデイトナ、モンツァ、ハラマといったモデルが続いた。
ただ、このシルバーストーンも70年代にカラフルな3モデル、80年代半ばに1モデルという限定的な展開に留まったため、現在の市場在庫は少なく、希少モデルとして愛好家から珍重されている。
【商品詳細】ホイヤー。シルバーストーン。Ref.110.313。SS(42mmサイズ)。自動巻き(Cal.12)。1970年代製。138万円。取り扱い店/ジャックロード ショップページに移動
いまやロレックスのスポーツモデルでもトップクラスの人気を誇るGMTマスター。しかし、このモデルもちょっと前はエクスプローラーやサブマリーナー、デイトナなどの影に隠れて人気がさほど盛り上がらず、むしろやや地味な存在だった。ここではそのGMTマスターの歴史について触れてみよう。
現行のGMTマスターIIの前身となる初代GMTマスターは、1955年に発表された。航空機による移動が徐々に一般化し、海外を駆け回るビジネスパーソンが台頭し始めた時代だ。ロレックスはパン・アメリカン航空(パンナム)から要請を受け、パイロット用の時計としてGMTマスターを開発したのである。
その名が示すように第2時間帯を表示できるGMT針を搭載。基本的なデザインは当時から現行モデルとほぼ同様で、そのデザインがいかに完成されていたかがわかる。パイロットやジェットセッターから支持を受けた初代モデルのRef.6542は、相当に古いモデルなので、オリジナルコンディションで残っているものは非常に希少だ。特に当時はベゼルが壊れやすいアクリル製だったため、社外製に変えられているものが多い。
1959年頃には2代目のRef.1675が登場。こちらは1980年まで製造が続く超ロングセラーとなったので、市場でも比較的よく見かける。ムーヴメントはCal.1565に更新され、メンテナンス性と信頼性が大幅に向上した。昭和の名優、石原裕次郎が愛用していた時計としてもよく知られる。
その後、80年代にはRef.16750へと進化し、82年にはGMTマスターIIの初代モデルであるRef.16760も登場。しばらくはIとIIが併売されることになる。GMTマスターIIは短針を単独で動かすことも可能になり、GMTウオッチとしての機能性が大幅アップ。89年には2代目GMTマスターIIのRef.16710が登場。同時期にRef.16750はディスコンとなり、GMTマスターはディスコンとなった。
2007年にはセラミックベゼルを搭載したRef.116710LNが発売されたが、この時期からGMTマスターが徐々に注目されるようになった。いままではさほど人気がなかったのに、セラミックのツヤ感やスマートな雰囲気が支持されて、それに伴って古いモデルの注目度もアップ。ゴールドモデルの存在やベゼルカラーのバリエーション、エイジングによる変色などにも注目が集まり、価格相場も高騰した。
特にベゼルのバリエーションは豊富で、一般的にGMTマスターのイメージを象徴する青×赤の“ペプシ”のほか、黒×赤の“コーク”、茶×金の“ルートビア”、パープルの変色が美しい“フクシア”など、様々なカラーが存在。珍しいカラーはベゼルだけでも非常に高額で取り引きされている。時計自体もパーツのオリジナリティによって価格は大きく変わり、オリジナルコンディションの個体だと大きく跳ね上がることは言うまでもない。
オメガは当初、自動巻きムーヴメントの性能に対して懐疑的だったといわれる。しかし、ロレックスの成功を受けて、その必要性を痛感し1942年に自動巻きムーヴメントの開発に着手。翌年、同社初の自動巻きムーヴメントを完成させた。
同社がいっそう自動巻きモデルの開発に注力するようになるは、創業100周年記念として製作した自動巻きモデル“センテナリー”(1948年)の成功以降である。その後、52年に自動巻きモデルの最上級ラインとして“コンステレーション”コレクションを発表した。
そのすべてがクロノメーター仕様として展開され、高精度を誇ったコンステレーションは、今日アンティークオメガを代表するモデルとして認知されている。
今回取り上げるのは、そんなコンステレーションの北米市場向けモデル“グローブマスター”だ。
なぜ異なるモデル名が付けられたかというと、そこには“ある事情”があった。
その事情とは、当時、北米市場ではすでに“コンステレーション”という商標が他社によって登録されていたために使えなかったというのだ。
ちなみに初期に北米市場に流通したもののなかには、見た目はコンステレーションそのものでありながらモデル名の記載がない個体もごくわずかに確認されている。
商標権の問題は1956年に解決したといわれるが、“グローブマスター”名はその後も一部のモデルで使い続けたようである。ただ、全体としての製造数は圧倒的に少なかったようで、今日、愛好家から珍重されるアンティークオメガのひとつだ。
【商品詳細】GF×SS(33mm径)。自動巻き(Cal.501)。1950年代製。38万5000円。取り扱い店/プライベートアイズ ショップページに移動
1950年代のホイヤー。三つのインダイアルは、30分積算計(3時位置)、12時間積算計(6時位置)、スモールセコンド(9時位置)となる(写真◎プライベートアイズ)
業界唯一のアンティーク時計の専門誌「ロービート(LowBEAT)」編集部が毎週水曜日にお届けしているアンティーク時計初心者向けの入門記事。今回はクロノグラフ時計のインダイアルについて取り上げる。
インダイアルとは文字盤上に設けられた小さい円の中に目盛りと小針を備えたもので、当初クロノグラフ時計といえばストップウオッチ機能に連動する30分積算計と、もうひとつは秒針の役割となるスモールセコンドの二つを装備した二つ目クロノグラフが一般的だった。
対して現代のクロノグラフ時計というとロレックスのデイトナのように文字盤上にインダイアルを三つ装備した三つ目クロノグラフが一般的となっている。このようにインダイアルの主流が二つから三つに変わった背景にはある歴史的な出来事が大きく関係している。その出来事とはズバリ戦争だ。
以前に書いた「クロノグラフの腕時計化を加速させた戦争、それを牽引したバルジュー社」(関連記事参照)でも触れたように腕時計型のクロノグラフは戦争とともに目覚ましく進化していったといっても過言でない。つまり、いまのようにコンピュータのなかった時代に任務を遂行するには腕時計は重要な道具だったのだ。
1930年代のレマニア。二つのインダイアルは、30分積算計(3時位置)、スモールセコンド(9時位置)となる(写真◎ケアーズ)
ではインダイアルが三つになってどう機能的に変わったのかというと、二つ目は30分積算計とスモールセコンドだったが、そこに三つ目として12時間まで計測できるもうひとつの積算計、つまり12時間積算計が追加されたことで長時間の計測が可能となったのである。
この12時間積算計が初めてクロノグラフ時計に装備されたのは1936年のこと。ただ12時間もの長い時間を稼動させる動力源の問題など技術的には容易なものではなかったため40年代までの多くは二つ目スタイルだった。
そんな12時間積算計の必要性を示したのが第2次世界大戦での爆撃機の存在だ。しかも航続距離がかなり伸びたことから長距離爆撃が可能となり、それに伴って12時間積算計は長時間飛行する爆撃機のパイロットにとっては重要なツールとなったのである。そして50年代から現代に至るまで12時間積算計を装備した三つ目スタイルがクロノグラフ時計の主流となったというわけである。
アメリカ海軍大佐であり航空航法の第一人者だったP.V.H.ウィームスが1929年に考案し、ロンジンが時計として具現化した通称“ウィームス・セコンドセッティングウオッチ”と呼ばれるパイロットウオッチ。これは、一般的な3針で秒針の動きを止めることなく正確な経過時間を計測するために、“秒目盛り自体を動かす”という方法を取り入れた、当時としては画期的な腕時計だった。
当初のウィームスウオッチは、文字盤の中央にディスク式の秒目盛りを備え、そのディスクを回転させて計測するタイプだったが、後に小型化に加え、目盛り付きの回転ベゼルタイプに改めている。
今回取り上げるのは後者、第2世代に分類されるウィームスウオッチだ。
このタイプのウィームスウオッチは民生品がほとんどだったようだが、一部はアメリカ軍(タイプA-11)やイギリス軍(マーク7A)に納入された実績を誇っている。この個体は、まさしくアメリカ陸軍航空隊のパイロットに支給されたリアルミリタリーウオッチで、裏ブタに記されたアメリカ軍の管理コード、そして軍用として文字盤にブランド名すら記されていない点などがその証だ。
また裏ブタの刻印からはさらに詳しくこの個体の来歴を知ることができる。
“U.S.ARMY ARMY A.C.”はアメリカ空軍の前身にあたるアメリカ陸軍航空隊、“40-8”というシリアルナンバーは供給年“1940年”の“8番目”という意味だ。
ちなみに、1927年に世界初の単独大西洋無着陸飛行に成功した飛行家リンドバーグは、このウィームスウオッチの存在を知って、測位機能をもたせた“アワーアングルウオッチ”のアイディアを思いついたといわれている。
【商品詳細】ロンジン。タイプA-11 ウィームス アメリカ陸軍航空隊。クロムメッキ(27.5mm径)。手巻き(Cal.10.68N)。1940年代製。28万円。取り扱い店/キュリオスキュリオ ショップページに移動
1965年4月、セイコーが150m防水仕様のダイバーズウオッチを発表した。
これが、国産初の”本格”ダイバーズウオッチとして広く認知されている。
ちなみに、あえて“本格”の部分を強調したのは、64年にオリエントからいち早く“ダイバー”の名を冠したモデルが登場しているからである。こちらは回転ベゼルを備えるなどスタイリングはまさにダイバーズウオッチだったが、防水性は40mほどだった。
その後、セイコーのダイバーズウオッチは67年に300m防水を実現した“プロフェッショナル 300mダイバー”を、75年には600m飽和潜水仕様のモデルを投入するなど急激な進化を遂げることとなる。
今回取り上げるのは、そんなセイコー ダイバーズウオッチの歴史のなかでも、“植村ダイバー”の通称で知られる150mダイバーの2ndモデル、Ref.6105-8110だ。
いわゆる“スキンダイバー”を改良した1stモデルに対して、2ndモデルではケースデザインを刷新。トノー型のケースフォルムに加え、搭載ムーヴメントも自動巻きの61系キャリバーに改められている。1968〜76年まで製造されたが、70年頃を境に仕様が変更されており、前期・後期に分類される。見分け方としてはリューズガードが追加されたのが後期だ。
“植村ダイバー”の由来でもある、冒険家・植村直己が北極圏1万2000kmの距離を犬ぞりで走破した際に着用していたのはこの後期モデルであり、その過酷なチャレンジをサポートした傑作なのだ。
【商品詳細】SS(41mm径)。自動巻き(Cal.6105B)。1975年頃製。28万6000円。取り扱い店/Watch CTI ショップページに移動
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